
過去の講演要旨
難しい人との付き合いを避けるな
2015年10月13日朝塾 堤 伸輔氏講演
「難しい人との付き合いを避けるな」というのは、どうすれば仕事の相手から信頼されるか、という問いかけでもあるが、自分は信頼されていると思った瞬間に、いろんな危険が襲う。いろんな世界の「大物」と呼ばれる人と長く付き合い続けていられるのは、「自分は信頼されている」などと言わない人。「自分はあの人と仲がいい」と吹聴するような人は、いつの間にか周囲から消えている。信頼されるということと、気に入られるということは、近いようで全然違う。人と長く付き合うにはどういうことを工夫すればいいか、どういうことを心がけていけばいいのかということを、私の話を通して少しでも分かってもらえればいい。
一人ひとりにとって、どういう人が難しいのか。例えば弁護士さんだと、法廷で争う相手は当然だろうが、クライアントの側に気難しい人がいたりすると、そちらの方がかえってやりにくいこともある。必ずしも商売敵とか敵対する側だけに難しい人がいるわけではなく、自分の会社にも難しい上司がいるだろうし、長年付き合わなければならない人にも難しい人はいる。
私は編集者として松本清張さん、塩野七生さん、ドナルド・キーンさんらを担当してきたが、この人たちは当然、どこか難しいところがある。難しくない作家・文学者でいい本を書く人には会ったことがない。どこかに通常の人とは違うところに足を踏み入れた部分があるからこそ、彼らはいいものを書けるのだと思う。作品に対する熱意、執筆のために発揮するエネルギーを見ても、並みの人たちとは全然違う。
松本清張さんとは、その晩年の10年くらい付き合ったが、彼は毎日3、4時間しか寝ていなかった。取材でヨーロッパを2週間巡った時も同じで、夜の12時に部屋に送って朝7時に迎えに行くのだが、本人は3時か4時には起きて、ルームサービスのコーヒーをとって、前の日の取材の記録を一心不乱に3~4時間書くことを毎日続ける。浜田山の自宅にいても同じ。何がそうさせたか。「自分の知らない話を取材して、面白い話を書きたい、というエネルギー」としか言いようがない。1回400字2枚くらいの新聞の連載を毎日毎日書くのは大変なことだが、松本清張は新聞連載一つ、週刊誌二つ、月刊誌一つ、さらにスポットでいくつというように、同時進行で5作も6作も平気で、もの凄いエネルギーで書き続けていた。
それほどのエネルギーを持っている人だから、当然こちらにそのリフレクションが来る。当時、私の担当は週刊誌で水、木曜は休みだったのだが、「これを調べてくれ」と必ず電話がかかってくる。自分のところで連載している小説の筋とは全然関係のないものでも事細かに調べさせる。電話に出ないと怒られる。で、ある時、休みを取って海外に逃げ出したことがあったのだが、行き先を割り出されて電話をかけてくるくらい要求がきつい。正直言って辟易することもあったが、そのひたむきな熱意にいつしか負けて、休日でも喜んで取材のお手伝いをするようになった。
塩野さんのケースで印象に残ることがあった。もう時効だと思うので、そのエピソードを披露したい。8ページの口絵が入っている本を校了して印刷所に渡し、次の日に子供と一緒に都電で遊びに行こうとしていた時に、ローマから携帯に電話がかかってきた。「ちょっと考えが変わった。口絵を巻末に移してほしい」と。「昨日校了しましたから、今ごろ印刷所でバンバン刷って、もうおおかた出来上がっている時間帯です」と答えると、「そんなの止めればいいじゃない」とおっしゃる。塩野さんの初版だと少なくとも7万部か8万部刷るわけで「止めろと言われても、7万部を捨てるというのは大変なことで、簡単には出来ません」「簡単でしょ。捨てなくていい。一番前の口絵を後ろにもっていくだけで、何も変わらない。製本する時に変えればいい」「本にはページ番号が付いていて、口絵が最初で、目次があって、本文が始まる。いきなり9ページから始まる本を私は作れません。そもそも後ろにきたら口絵という言い方もできません」――と、ああ言えばこう言うで、まったくお許しいただけない。「それにしても、なぜ口絵を後ろに持って行きたいのですか」と聞いたら、「私の作品は、やっぱりまず文章から読んでもらいたいと思ったのよ。口絵の写真などはあらかじめ読者にイメージを与えてしまう。だから最後にしたい」と。これが普通の人だったら、輪転機が回り始めていると言うと「そうか、もう遅いわね」となるのだが、絶対にあきらめない。この執着こそが作家を一流たらしめるものであり、「もう遅い」とか「コスト的に損害が出る」とかであきらめていたら、塩野さんはあれほど凄い作家にはなっていなかったかもしれない。そこで私は、「塩野さんは年に1、2作しか出しません。あなたの本を待ち焦がれていた読者が本を開いた時に、ローマの経済状態のグラフとか、年代によって変わっていったコインの様子とかを、つぶさに見てから本を読むでしょうか。1年間待ち焦がれていた人がみすみす口絵で立ち止まるでしょうか。絶対、本文から行きます」と言ったら、電話の向こうの雰囲気がちょっと変わってきた。が、「あなたは本当にそう思うか」と、一度では退かない。「絶対にそうです」と応え、「なぜならば」とさらにいくつかの例を挙げたところで、ようやく「いいわ」と言ってもらえた。都電の駅で、1時間が過ぎていた。
清張さんにしろ、塩野さんにしろ、こうした熱意や執着をもった作家に、どうすれば信頼してもらえるのか。気に入られたいのだったら、いろんな気配りをすればいい。塩野さんなら、ローマに日本酒を送るとか、行く時には必ずお米を提げていくとか。これは、私に限らず、各社の担当編集者がやっているだろう。しかし、そこから先は?
それはその仕事自体のレベルで、作家の要求に応えていくしかない。清張さんなら綿密な取材レポートを届け、塩野さんなら『ローマ人の物語』の中に入れる歴史地図、年表、さまざまなチャートなどをしっかり作る。そのためには、日本の本だけでなく海外の専門書も読んだりして作る。なかなか合格点はもらえなかったが、近いところまでは行けたのではないか。結局、普段の仕事の積み重ねをやっていくしか信頼のレベルにはたどりつけない。そのためにはいろんな工夫、いろんな準備が必要だ。打ち合わせに何も準備しないで行くのか、準備していくのか、リサーチまでしていくのか。長い目で見て信頼を勝ち得ることが出来るのか出来ないのか、それは明らかに変わってくる。
準備とか工夫にセオリーはない。付き合っていて難しい人、相手をするのに骨が折れる人の場合、その人自身をよく観察し、出来れば周りの人たちも観察する。難しい人や大事な人の周りにはいろんな人が集まる。お金を目当ての人もいれば名声目当てにくる人もいる。その中でどういう人が残るのか、そことの付き合いも大事になる。周りの人たちとどう付き合い、(あまり付き合わないほうがよさそうな人との)距離感をどう取るか。クライアントの会社ですべてを決めているワンマン社長の下にいる、実務的なやり取りをする人たちにも、いろんな癖があったりするだろう。この人を通すと話がうまく行き易いとか、この人を通すと同じ内容でも却下されるとか。そういう周りを含めた観察で、どうしたら大事な相手とうまく行くか、コミュニケーションがしっかり取れるか、相手は何を求めているのかを知ることが必要だ。
自分が担当した人たちを見ながら学んできたことだが、彼らは長くあることをやり続け、達成しても満足せずに続けている。英語で言えばコンシステンシー、一貫性、継続性というものをいかに保てるか。これが仕事や人生を分けるものになっていくだろう。コンシステンシーというのはとても難しい。たとえば私自身、長く続けなければモノにならない語学に、7カ国語か8カ国語チャレンジして、ほとんどが基礎の文法が終わったあたりで挫折した。少しはモノになったと思うのは英語と中国語ぐらい。だから私自身にコンシステンシーがあるわけではないが、せめてそれに近いものを持ちたい。私は、せめて「再開する力を持とう」と言語化してみた。1回挫折したことをもう1回始めるのは、最初に始めたとき以上のエネルギーが必要になる。失敗したことのトラウマもあって、なかなか再開するのは難しいが、せめて再開する力を持とう、と思うようになった。
私が担当して本を作ったイチロー選手から学んだことがある。言語化してモットーにしているのは、「201本目を打っておく」こと。彼は2001年からシーズン200本安打を10年間続け、メジャーの新記録を作った。私が気づいたのは、その10年間のうちすべてで、200本目を打ったその日か次のゲームで、必ず1本か2本のヒットを打っているということ。自分が1年間目指してきた記録を達成した日には、普通なら解放感に浸ってもおかしくないのだが、彼は次の打席でもまた打つ。油断しない。満足しない。「記録がかかっている打席とそうでない打席に価値の軽重をつけることは自分の場合はありえない」とも言っていた。だから200本打ったすぐ後の打席にまた貪欲にヒットを求めていくことが出来る。翻って自分はどうか。200本ほどの凄いことは無理でも、自分なりに何か大きな仕事を終えたら、「今日は早めにふけようか」と普通は思うだろう。私も、そんな時は「自分へのご褒美」を上げてきた。でも待てよ、と。大きな仕事に区切りがついたとしても、その日にまだ時間があれば、次にやろうと思っている企画書のたたき台だけでも作っておけば、翌日のモチベーションは全然違うのではないか。長い目で見た時に、そうしたことの積み重ねで自分のトータルのパフォーマンス、仕事の成果というのは違ってくるのではないかと気づいた。自分の数カ月間の最大の目標を仕上げた時に、全面的に緩めてしまっていいものか。「201本目を打っておこうか」と思えるようになった時に、自分のコンシステンシーがいくらか変わったような気がする。
イチロー選手は何かを達成した時だけでなく、どの試合の後も、自分を完全には緩めないように見える。それを完全にまねするのは難しいが、自分が何かやった後にはそういうことを思い出して、彼だったらどうするのだろうかと考えるのが私自身の癖になった。
言語化、というお話をしたが、何か自分のヒントになるようなことを見つけた時に、それを言語化していくというのはとても大事なことで、ノウハウ本の箇条書きになったもので同じ気持ちを得られるかというと全然違うと思う。自分自身の経験、あるいは周りの人たちをよく観察して、その成功の秘訣、失敗の原因を眺めて、そこから言語化していくことでしか、自分の血や肉になる本当の意味でのノウハウは得られないのではないかと思う。
最後に、語学はどんな時にも武器になるので磨いていただきたい。どんな仕事であれ、日本の中の情報だけでは世界の流れから相当遅れをとる。今回、日本人の科学者お二人がノーベル賞を受賞したが、日本が全体として世界の流れについていけているかというと、相当遅れていると言わざるを得ない。それは我々メディアの責任もある。日本のメディアだけを見たり聞いたりしていては、世界の流れには全くついていけないと思う。外国の情報を得るためにも、自分だけで定点観測する海外メディアを見つけて欲しい。
締めくくりに、詩の朗読をしたい。宮沢賢治の「生徒諸君に寄せる」。宮沢賢治が農学校を去るときに生徒に呼びかけたものだという。励まされる詩で、自分が気持ちを高めたい時によく朗読する。
「生徒諸君に寄せる」
この四ヶ年が わたくしにどんなに楽しかったか わたくしは毎日を 鳥のやうに教室でうたってくらした 誓って云ふが わたくしはこの仕事で 疲れをおぼえたことはない
諸君よ紺いろの地平線が膨らみ高まるときに 諸君はその中に没することを欲するか じつに諸君はその地平に於る あらゆる形の山獄でなければならぬ
諸君はこの颯爽たる 諸君の未来圏から吹いて来る 透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり 決せられた南の風である 諸君はその時代に強ひられ率ゐられて 奴隷のやうに忍従することを欲するか むしろ諸君よ更にあらたな正しい時代をつくれ 宙宇は絶えずわれらに依って変化する 潮汐や風 あらゆる自然の力を用ひ尽すことから一足進んで 諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ
新らしい時代のコペルニクスよ 余りに重苦しい重力の法則から この銀河系統を解き放て
新たな時代のマルクスよ これらの盲目な衝動から動く世界を 素晴しく美しい構成に変へよ
新らしい時代のダーウヰンよ 更に東洋風静観のキャレンヂャーに載って 銀河系空間の外にも至って 更にも透明に深く正しい地史と 増訂された生物学をわれらに示せ 衝動のやうにさへ行はれる すべての農業労働を 冷く透明な解析によって その藍いろの影といっしょに 舞踊の範囲に高めよ
新たな詩人よ 雲から光から嵐から 新たな透明なエネルギーを得て 人と地球にとるべき形を暗示せよ
質疑応答
――堤さん自身、人と変わっていると思うのはどんなところか
堤 自分ではよくは分からないが、調子いい時には、今こうやって話をしている自分とそれをどこか傍らから眺めている自分があると思える時がある。それによって自分を客観化する。あえて人と変わっている自分の特徴といえば、常に自分を客観視しようとしているところではないか。その度合いは平均値より高いかもしれない。ただ、自分を分析しすぎる人は表現者としては一流にはなれない。私は表現者と付き合う立場なので、自分を客観視することを心がけている。
――人と付き合っていく上で重きを置いているところは
堤 相手の人間としての強味弱味をなるべく吸収してあげる。客観化してみることと同じだが、一対一の関係で対決しているとこちらも真顔になって言い返さなければいけなくなるが、そのやり取りをもう一人の自分が眺めるようにすると、トラブルがあった時にも対処がしやすいのではないか。ただ、全部譲って相手に合わせればいいというものではない。間違いを指摘するのも仕事の場合がある。そこは難しいところだ。
――「201本目を打つ」というのは達成後も常に次を求めるということで、余力が必要だと思うが、それは何か。
堤 100%の状態でなかったから十分に力を出せなかった、あるいは100%じゃないとゴールに到達できないと思い始めたら長い仕事は出来ない、というように逆転して考えてみたらどうか。100%の力をどこで出し切るのか。仕事の追い込みの土壇場の数日間でがんばったことと、100%の力を出し切るということは違う。考え方をちょっと変えてみると、余力があるというのはどういうことか分かると思う。
――普段の仕事の積み重ねが信頼につながるというが、逆に不信につながる場合もある。切り替えのポイントはどんな所か。
堤 組織として考えた場合、上司や周りの人とうまく行っていない、信頼関係を得られていない時には、組織としてどううまく入れ替えるか、ローテーションをどう制度化するかとかを考えるべきだ。外部の人との関係でも、人間関係を長く続けると途中で煮詰まってくることがある。そうなると、どうでもいいことでも衝突してお互いフラストレーションが溜まってしまう。その人が駄目だったから、仕事先の大事な人と信頼関係が築けなかったとばかりは限らない。仕事上では不可抗力の場合もある。何か原因がある場合は、上司が本人の話をよく聞き、周りの人の力も借りて、原因を掘り下げて把握した上で修正していくしかない。
2015/10/22
※他媒体やSNSなどへの転載は、規約にて禁止としております。